活発な活動家のイメージがある理恵さん。ご両親は島人ですが、生まれは埼玉。跡継ぎの関係で10歳の時にヨロンへ戻るも、意外や幼少期はヨロンから出たくて仕方がなかったといいます。
「埼玉の時に通っている学校の道徳観とヨロンの感覚が当時全然違くって。スポーツと勉強ができてれば優秀っていう考え方が強い気がして、ヨロンの言葉も分からないし最初の3か月は本当に嫌だった」
狭い島の社会では、歩いていても懐中電灯当てられて「たるげーら(誰?)」と聞かれる。常に納得がいかない中高時代。島が本当に嫌で、高校卒業後に短期大学進学のため、念願叶って島を出ることとなりました。
「廃れてたからさ、その時にシャンソンにであったのよ(笑) 両親からは資格が取れる条件で進学を許されたから、教員資格が取れる群馬の音楽の短期大学に進むことにしたの」
▲森と海の合唱団活動
卒業後は島に戻る選択肢はもちろんなく、結婚。長女を島で出産してしばらくは本州での暮らしが続きましたが、生活面で折り合いがつかず理恵さんは島へ戻り、別居を経て離婚。この時に島の人のやさしさに気づいたそうです。
「今まで嫌だったことも、根っこを見つめたら感謝に変わってきて。この島で生きていこうと思ったのがこの時かな。島に恩返しするための模索がはじまったの」
島に帰ってからは、音楽で貢献したいと、アンシャンブーブーズという音楽グループやピアノ教室をしたり。その後、ハレルヤこども園で音楽保育士として13年勤めます。保育は独学の学びも多く、自然とのかかわりに重きを置いているシュタイナー教育に着目しました。
「幼少期って人格形成っていわれていて、このときに何を見出して何を体験・体感するか。こどもって遊びの天才で、葉っぱ1枚がいろんなものに変身するんだよね」
長年こどもと関わってきた中で、今の社会の仕組みに疑問がわいてきた理恵さん。未来を自分で作れる環境づくりをしたい、自然に生かされている社会の循環をめざそうと思い、一念発起、法人の設立に至りました。
▲ミネラルを摂る大切さのお話
「根っこをみるクセがついていたからさ、世界の社会の流れに疑問を抱いて。まずは今、自分の足元を変えていく。意識して今を変えていかなきゃって思う」
「人を変えていくんじゃなくって、ひとりひとりの個性が認められて生きられるようにしていきたい。私もいろいろあったから、その時は大変だったけど、全部未来のための経験だったんだって。批判するような過去だったけど、今は感謝なの」
会えば話の尽きない理恵さん。アツいパッションが彼女を今日も動かします。
池田 理恵(いけだりえ) URL:https://sites.google.com/view/eco-island-yoron 問い合わせ先:0997-85-1076(シェアオフィスシマノマ内)
会えるかもスポット:那間の池田農園のあたり、ツリーハウス