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ヨロン島で軽石フェスティバル開催

Reporter ヨロンFun編集部

ヨロン島の旬の話題をお届けします。

ヨロン島で久しぶりの有観客イベントが開催

今年8月普段は白いサンゴ礁の生き物たちによって形成されてきた白い砂浜が、海底火山によって形成された軽石の漂着により、灰色がかった海岸に変化しました。漂着してしまった軽石を自分たちの力で回収しようと、SNSを通じて声を掛けたのが、サーフィン連盟の大内会長。10月13日の軽石回収には、日曜日にも関わらず100名程の島民が集まったそうです。

「コロナ禍を経てイベントが少ない今、多くの島民が集まるきっかけとなった“軽石を回収する”行為に対する団結力やエネルギーを、何か別の形にしたいと思った。特に学生は有観客のイベントが少なくなって、発表の機会を作れたらと」

大内会長は、サーフィン連盟を中心に声掛けを行い、軽石フェスティバル実行委員会を立ちあげ、2週間という短い準備期間で、2021年11月28日(日)に砂美地来(サビチラ)館にて開催される運びとなりました。

 

軽石漂着の今、回収の現状

▲与論町漁業協同組合青年部による活動報告

軽石が漂着してから約2か月が経ったイベント当日、これまで軽石回収に携わってきた団体からの事例発表がありました。まずは、NPO法人海の再生ネットワークよろん池田香菜事務局長より、漂着してきた軽石がなぜ出来たのかを自然科学的に解説が行われました。実際に皆田海岸で軽石回収を行っているE-yoron池田龍介事務局長からは、海ゴミ拾いを観光客と行ってきた事例を踏まえつつ、島民だけでなく島に関わる人が一丸となって行うことで、人が来るほどきれいになる砂浜が保たれるというメッセージが伝えられました。

今回は軽石の漂着量がかなり多いこともあり、さまざまな業種の方に影響が出ています。特に、海へ船が出せないことによる経済被害が大きく、観光業や漁業、さらにはインフラの大部分を占める九州電力の発電用重油を積んだタンカーが接岸出来なくなってしまいました。タンカーの接岸を可能にするため、国土交通省によりフェンスを活用して軽石を近づけない対策が取られたことや、与論町役場建設課より災害協定を結んでいる関係者と軽石除去を行っていることが伝えられました。

他にも、365日海岸の漂着ゴミを拾うボランティアグループ海謝美(うんじゃみ)による合唱や、与論町漁業協同組合青年部による活動報告が笑いを交えながら行われ、終始和やかな雰囲気に包まれていました。

 

音楽や踊り、エンターテイメントで盛り上がる会場

▲川畑アキラバンド

 

軽石回収の現場報告の後は、久しく行われなかった有観客での音楽やダンスの発表がされました。最初に魅せるのは、舞弦鼓による島唄に合わせたゆんぬエイサー。締めは観客たちも立ち上がり、実行委員長である大内さん自らが踊り、会場を盛り上げました。
続いて、川畑アキラバンド。長年培ったさすがのMC力と実力で、新曲「僕たちは島にいる」「結びうた」を踏まえ4曲が披露されました。

会場があたたまってきたところで、フラダンスチーム、ホオポノユンヌアロハの子ども達によるダンスがスタート。ヨロン島の中央公民館で活動を続けている彼女たちですが、公民館での発表会を除けば、新型コロナウイルス感染拡大してから人前での発表は今回が初めてとなったそうです。小学1年生から中学生までの可愛らしい踊りに、大人も子供も目が釘付けになりました。

若い力、与論高校生のバンドとダンス
締めは島内バンド”キャッチ&リリース”

▲LAST CHILDRENのダンス

 

終盤に差し掛かり、与論高校生たちによるバンドとダンスの発表が3チーム行われました。期末テストの時期によって練習期間が作れなかった中学生たちは、出演を断念したそう。今回のイベントに合わせて、1週間練習をして臨んだバンド”わらびんちゃー”、中学生の頃から吹奏楽部で頑張ってきた仲間と結成した高校1年生のバンド”THE YELLOW WITNESS”。観客席の一番前には応援の高校生たちも多く駆け付け、一気に会場のボルテージが上がってきました。そして、高校3年生”LAST CHILDREN”によるダンスが1曲。既に振り付けがされているものを取り入れたものの、ダンス経験者は5人中1人しかおらず、この日のために練習に励んだそうです。

締めを飾ったのは、キャッチ&リリースのみなさん。

「普段は修学旅行などでヨロン島に来島した子供たちがメインのお客さんであることが多いから、島在住の子ども達の前で歌うのもいいね!」そう語り、歌をはじめました。

まずは美空ひばりさんの”糸”を皮切りに、オリジナルソングを3曲披露。最後に歌われた“この島でイェイイェイデステニー”は、実はヨロン島に生まれ育った自分たちのジレンマを歌詞にしたのだそうです。しかしながら、一見マイナスイメージとなりがちであった軽石漂着の出来事は、今回のイベントが行われたことによって、歌われた歌詞中にあったように、「明日も生きていく」糧となったような気がしてなりませんでした。

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