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ヨロンの種特集ヨロン島の「Muuru」 大城健作さんにインタビュー(前編)
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ヨロン島の「Muuru」
大城健作さんにインタビュー(前編)

Reporter 原田りえこ

ライターが見つけた旬の話題を独自取材しました。
「Muuru」が出来るまでを追う連載記事、第9回目です。(全10回)

【はじめに】
2025年7月、ついにヨロン島の百合ヶ浜の玄関口である大金久地区に新しい観光施設「Muuru(ムール)」がオープンしました。ヨロンFunではこれまで建物が出来ていく様子を追ってきました。
その最後を飾る記事として、イタリア・ミラノを拠点にご活躍中のMuuruの建築デザイナー 大城 健作(おおしろ けんさく)さんにインタビューした内容を掲載します。
※インタビューは1年前の2024年7月に行ったものです。

Muuruは島の子どもたちにとっても、関わりの大きい場所となっていく予定です。
このインタビューには、当時与論高校3年生で建築の仕事に就きたいという夢を持っていた川畑 日藍子(かわばた からんこ)さんも呼んで一緒に話をしました。

ファシリテーター役を務めたのはヨロンFunの池田かなです。前編・後編の2回に分けてお送りします。

 

沖縄にルーツを持つデザイナー

Fun: 今回お話を伺う大城健作さんは、高校卒業後にイタリア・ミラノに渡り、現在もミラノを拠点にご活躍をされています。大城さんは今回の来島は何回目ですか?(2024年7月時点)

大城さん: もう5回目くらいかな。

Fun: 沖縄にルーツがあるとお聞きしていますが?

大城さん: 両親が沖縄県北部の山原出身なんです。僕は沖縄で生まれて、生後まもなく大阪に転居しました。

Fun: なるほど。

大城さん: 小学生の頃は夏休みのたびに、一人で飛行機に乗って沖縄の祖父母の家に帰ってました。そこでは朝から夕方までずぅっと海。毎日、海に行って「ちょっとくらいは家にいなさい」とよく怒られましたね。

Fun: その記憶は、今のご自身にも影響していますか?

大城さん: 自分の先祖や親もそうだろうと思いますが、海での原体験を持っていることは強く影響しています。
理解したのは大人になってからですが、子どもの時から感づいていたんでしょうね。波打ち際に寝転んで、波に体を預けているような感覚が僕は好きで、うとうとしながら意識も体もそのまま海に溶けていくような妄想をよくしていました(笑)

Fun: 海の存在がとても大きいんですね。

大城さん: そうですね。山原とヨロン島を兄弟島と呼んでいた時代があったと聞き、また実際に山原ととても似ている部分もあるので、ヨロン島のことをなんだか故郷のようにも感じています。

▲日藍子さんの話に耳を傾ける大城さん(右)

Fun: 今日はもう一人、与論高校3年生の日藍子(からんこ)さんにも来てもらっています。

日藍子さんは将来、建築に関わる仕事に就きたいそうです。ヨロン島にいて世界で活躍されているトップデザイナーに会える機会はとても貴重なので、今回ヨロンFunの方から声をかけて来てもらいました。日藍子さん、よろしくお願いします。

日藍子さん: よろしくお願いします。

Fun: 日藍子さんは生まれた時からずっとヨロン島で育ってきて、卒業後は島外に進学予定なんですよね?

日藍子さん: はい。島外に行く予定なんですが、高校2年の時に「ヨロン島っていいな」って思うことがあって、将来はヨロン島に帰ってきたいなと思っています。だから島に帰ってきた時に役立たずな人間じゃなくて…。

大城さん: 地域に貢献できる人間になりたい?

日藍子さん: そう、そうなんです。ちゃんと貢献できるようになりたいっていう気持ちでいます。

Fun: そう思うきっかけになった出来事を聞いてもいいですか?

日藍子さん: ヨロンマラソン大会にボランティアで参加したんですけど、その完走パーティーで…なんて言うんだろう。ヨロンの歌をみんなでわいわい踊って歌っている光景を見た時に、ステージ上の人たちもすっごい楽しそうだし、それを見てる側の人たちも楽しそうで、一緒になってる感じが「あ、いいなー」って思って。

大城さん、Fun: へぇ!

日藍子さん: 島の人も外の人も関係なく、「今を楽しもう」みたいな感じがすごくて、それに惹かれて、いいなーって思いました。

大城さん: 島ならでは開放感ですよね。

Fun: うん、うん。境界がない感じ。ヨロンのいいところですよね(笑)

大城さんは高校卒業後にイタリア進学をされました。今の日藍子さんと同じ年齢の時にイタリアに行くと決めたのは大きな決断だったと思います。なぜその道を?

大城さん: 理由はいろいろありますが、単純に言うと好奇心が強かったかな。

Fun: 好奇心が強かった?

大城さん: イタリアとの出会いをくれる人が身近にいたんです。僕の幼馴染のお父さんが建築家で、子どもの頃からその建築デザイン事務所で本や映像を見たり、デザインの話を聞いたりしていて、それがきっかけとしては大きかったです。

Fun: なるほど。

大城さん: イタリアのデザインの歴史は古く、日本では考えられないような個性的なデザインが沢山生み出されていました。多様なデザインを生み出す人、国があるという事に衝撃を受け、「一つの概念にとらわれずに物を生み出す」、自分もこういう仕事をしてみたいと思いました。

Fun: 概念にとらわれず。

大城さん: おそらく当時の僕は日本の社会に対して窮屈なところを感じていたんです。このまま日本にいて就職してその先には何があるんだろうって思っていたんです。だから、自分で選択し、何かを生み出していく道に惹かれていったんだと思います。

Fun: ご両親はイタリア行きを反対されなかったのですか?

大城さん: 反対というよりは心配だったと思います。インターネットが普及していなかった時代ですし、情報がなくて分からないことばかりだったので。

Fun: それでもやめようとは思わなかった?

大城さん: 建築家のおじさんに「日本で教育を受けずに直接イタリアに行って教育を受けた方が面白い人生になるぞ」と応援してもらっていたし、僕自身もリスクを取り、その状況に身を置いた時にどうなるかが楽しみだと思いました。

Fun: 先が見えない方が面白いということですね。

日藍子さん: お話を聞いていて、私だったらイタリアに行こうってなるかな、なれないなって思いました。

大城さん: それはね、出会いもありますし。

日藍子さん: イタリアに行ってこれがやりたい、という具体的な目標はあったのですか?

大城さん: 行ったばかりはデザインのことも何もわかってなかったけれど、考えていたのは「悔いのない生き方をしたい」ということ。出来るところまでデザインに向き合ってみたいという、それだけでしたね。

 

人と出会うことで世界が広がる

Fun: イタリアに行かれてからのお話を聞かせてください。

大城さん: 初めの1年ぐらいは語学留学で、その翌年にデザイン学校に入学しました。デザインの実技は大丈夫だったんですが、専門用語がほとんどついていけなくて。日本に帰ってきた時に同じ内容の教材の日本語のものを探して勉強を進めました。

Fun: 後悔はありませんでしたか?

大城さん: ありませんでした。デザインのことを深く知るようになり、より楽しくなってきて、興味がどんどん広がっていきました。さらにいろいろな人と出会うことで世界が広がりましたね。

Fun: デザインを通して、世界が広がった?

大城さん: 自分が生み出したものを通して世界中の人と繋がれる、作品を見てもらい、肌感覚でその反応を知ることができる、そこがすごく面白いと感じました。ミラノには世界中から若いデザイナーが集まってきます。個々の能力・性格だけではなく、運もないと生き残っていけない。そんな厳しい環境だからこそ、もっと挑戦したいと思うようになっていったんです。

Fun: そのまま日本には戻らずに、イタリアで。

大城さん: 卒業してしばらくは修行時代を過ごします。大変でしたが、手探りで自分の作品作りも並行して進めていました。2000年だったと思いますがミラノのギャラリーで展示していた作品が、ある方の目に留まり日本で製品化するという機会に恵まれました。陶器製のオブジェです。

Fun: 大城さんはこれまで家具や生活用品などのデザインを多くされてきたそうですが、陶器製のオブジェも作られていたのですね。

大城さん: 当時のことは本当に思い出深いですね。このオブジェは焼き物の産地である長崎県の波佐見町で生産されました。20年以上の時を経ましたが、その時にお世話になった方々との縁もあり、今回、西海陶器さんにMuuru caféで使われているオリジナル食器の製作協力をいただいています。

Fun: 修業時代にお仕事をされた方とMuuruでまた繋がったということだったんですね。カフェで使われる食器を大城さんがデザインされるとは聞いていましたが、そんな背景があったとは驚きました。

大城さんの話が続きましたが、日藍子さんは将来、自分がどんな仕事をしたいのかイメージはありますか?

日藍子さん: 私は建物を建てたいです。

Fun: その理由は?

日藍子さん: 建物って仕事場とか、家とか学校ですよね。建物が使いにくいとつらいし、反対にすごい使いやすくて居心地のいい建物だったら、人間関係とか仕事に向かうまでの気持ちもポジティブな感じでプラス思考になれるんじゃないかなって思って。使う人たちの気持ちが明るくなりますよね。

大城さん: うん、なるほど。

日藍子さん: そう気付いた時に建築っていいなと思いました。小さい頃から設計図を書くのが好きだったり、DIYをお父さんと一緒にやるのが好きだったこともありますが、将来は建築に関わりたいって思っていました。

大城さん: それは設計をしてみたい? 建物を作りたい?

日藍子さん: 自分で…、自分で作りたいです。

大城さん: 自分で作りたい?

日藍子さん: 設計もしたいし、体を動かして実際に作るのも好きだし何でもしてみたいです。

大城さん: いいですね。いいです、いいですね。

Fun: 多岐にわたる大城さんのお仕事と共通するものがありそうですね(笑)

(後編につづきます)

【大城健作さん】Kensaku Oshiro

1977年 沖縄県生まれ、イタリア・ミラノ在住。
世界的なデザイナーを輩出しているミラノのデザイン学校を卒業。
2004年ピエロ・リッソーニ(イタリア)、
2012年バーバー&オズガビー(イギリス)のスタジオでデザイナーとして活躍。
2015年に独立。数多くの展示会やコンテストで賞を受賞している。

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