10人目:田中穂乃佳さん(看護師)
【田中穂乃佳さんのプロフィール】Honoka Tanaka
ヤーナー(家名):ウトゥ
1999年生まれ。7歳下の弟と2人兄弟。与論高校卒業後、鹿児島の専門学校で学び、現在は鹿児島市内の総合病院に就職。
就職1年目から重症の患者さんを受け入れる高度治療室に勤務。
昨年入籍、春に結婚式を控えている。
※お名前、敬称略
か な: 今回の“旅の島んちゅ”は田中穂乃佳さん。今日はヨロン島に帰省されている貴重なお休みの中でお時間を頂きまして、ありがとうございます。さっそく、いろいろお聞きしていきます。
穂乃佳: よろしくお願いします。
か な: ヨロン島に住んでいた時は、どんな子どもでしたか?
穂乃佳: 小さい頃から牛が好きで、休みの日とか牛舎に行って手伝いしてました。
か な: ご実家が牛農家?
穂乃佳: そうです。小さい頃は牛の獣医さんになりたくて。幼稚園とか小さい頃からずっと、ずーっと。
か な: 今のお仕事が看護師さんですよね。対象が変わったんですね、牛から人へと(笑)
か な: 海では遊んでましたか?
穂乃佳: 赤崎海岸の隣のタディダラによく行ってました。
か な: いいですよね、タディダラ。湧き水が流れているから冷たいところもあって。
穂乃佳: 周りが囲まれているし、よく行ってましたね。
▲穂乃佳さん(中央)と大切な家族
穂乃佳: 小さい頃から医療系に興味があったんです。小学校低学年ぐらいに見ていたドラマの影響もあって。
か な: お医者さん、かっこいいなみたいな?
穂乃佳: わかんないです。不思議なんですけど医療系にずっと興味があって。なぜか謎に。
か な: 謎に(笑)
穂乃佳: 『コード・ブルー』っていうドクターヘリをテーマにした医療ドラマがけっこう好きで。すごいなー、いいなーとか思って。
か な: 今も覚えてるんだ。
穂乃佳: はい。それで、中1の時だったかな。一緒に住んでたおばあちゃんが、くも膜下出血で亡くなったんです。最初は沖縄の病院に運ばれて、その後また島に帰ってきたけど、しばらくして亡くなって。多分そこがきっかけだと思います。
か な: そうだったんですね。
穂乃佳: 家族とか大切な人に何かあった時に助けられなかったことがすっごい悔しくて、なにか出来るようになりたいと思って。
か な: うん。
穂乃佳: そこから多分、看護師を目指そうかなと。
か な: それで高校卒業後は、看護学校に?
穂乃佳: 鹿児島医療技術専門学校の看護学科に行きました。
か な: ご両親からはその道に進むことについて何か言われましたか?
穂乃佳: 私の両親は「自分の人生なんだから、自分がしたいことを自由にしなさい」って応援してくれます。でも、お父さんがもう(笑)
か な: ん?
穂乃佳: 弟と年が離れてるので、長い間ほぼ一人っ子で育ってきたんですよね。それに一人娘だから。
か な: あぁ可愛くて仕方ない(笑)
穂乃佳: 島を出てから、けっこう電話かかってきました。
か な: 寂しかったんだ(笑)
穂乃佳: みたいです(笑)
▲島に帰れば同級生たちと与論献奉!
か な: 看護学校はどうでしたか?
穂乃佳: 実習がきつくて辞める子も多いんだけど、私はちょっと違って。楽しかったです。
か な: 実習が?
穂乃佳: 患者さんと喋れる時間が楽しくて。毎日楽しみながら実習に行って気がついたら4年間終わってました(笑)
か な: すごいなぁ。バイトとかもしてたんですか?
穂乃佳: コロナ禍になって、バイトをしてると実習に行けないというのがあったのでバイトは控えてました。
か な: ちょうどコロナ禍の時期だったんですね。
穂乃佳: 外から来ると感染リスクが生まれるので実習に来ないでっていう病院も多くて。実習ができないから学内で補うみたいなことも多かったですね。
か な: そっかぁ。
穂乃佳: 長期休みにヨロン島に帰ってきた時には親戚の人のお店で働いてました。
か な: どこのお店?
穂乃佳: ひょうきんです。
か な: ひょうきんでバイトしてたんだ!
穂乃佳: 楽しかったです(笑)
か な: 医療現場の就職活動は、どういう感じなんですか?
穂乃佳: 自分で気になる就職先を見つけてきて先生に相談していました。私の学校は就活専門の先生が一人いてよく相談に乗ってもらいました。
か な: なるほど。
穂乃佳: 私としては、いずれヨロン島に帰ってきたいっていうのがずっとあって。
か な: へぇーーー!
穂乃佳: ずっとあって。
か な: それはなぜ?
穂乃佳: 友達もたくさんいるし、楽しいし、いつか帰ってきたいです。自分の家族が元気なうちに。
か な: うんうん。
穂乃佳: でもヨロン島に帰ってくるなら、いろんなことを経験しとかないといけないという気持ちもあって。
か な: 離島医療ですからね。
穂乃佳: それも先生に伝えて相談して、最終的に今の就職先に。
か な: 鹿児島?
穂乃佳: 鹿児島市の総合病院です。
か な: 今は何年目?
穂乃佳: 今年の4月で4年目です。
か な: 慣れるのは大変でした?
穂乃佳: 大変でした。 夜勤も多いですし。
▲看護学会で学びを深める(左が穂乃佳さん)
か な: 仕事のやりがいは何ですか?
穂乃佳: 私は就職した1年目から一般病棟じゃなくて、“高度治療室”っていう重症の患者さんが集まるところで働いているんです。
か な: 高度治療室?
穂乃佳: ICU(集中治療室)に似た感じで。ICUはうちの病院にはないんですけどそれと同等ぐらいの重症な患者さんを受け入れるところです。
か な: へぇ!
穂乃佳: だから毎日、生死を彷徨うみたいな患者さんしか見ていないんですけど。
その人たちが一般病棟に移ったあとも時々見に行くんです、気になるんで…仕事が終わった後とかに。その時に歩いてたりご飯食べてたり、退院が決まったとか話を聞くと、あの時に頑張ってよかったなって。すごく、よかったって。やりがいはそこで一番感じます。
か な: 特に印象に残っている患者さんはいますか?
穂乃佳: はい。元気になって帰る方もいますけど、亡くなる方もけっこういるんですよ。
か な: うん。
穂乃佳: 与論島ではない別の島からなんですが、ドクターヘリで離島から運ばれてきた方がいました。危篤な状態になって、もう島に帰ることができないということがあって。
か な: うん。
穂乃佳: 家族を呼ぼうにも天候が悪くて飛行機が飛ばない、家族は間に合わないという状況だったんです。島ならではの考えだとも思うんですけど、与論島って亡くなる時は家で看取る文化がありますよね。目の前の患者さんもそんな背景が見えてるのに、なのに今、一人で亡くなろうとしているってのがすっごい。私にとっては心が痛くて。
か な: うん、うん。
穂乃佳: 夜だったんですけど、その人のためにできることは、そばにいてあげることしかできないなと思って。そばにいて、でもやっぱり家族の声も聞きたいだろうなと思って。島にいる家族に電話して、耳元に電話当てるので話してあげてくださいって言って、耳元に電話当てて声かけてもらって。
か な: その患者さんは最期にご家族の声が聞けたんだね。
穂乃佳: 与論島で育ったから出来ることもあるのかなっていうのはその時感じました。
か な: うん、そういう気持ちに気付けるのも島育ちだからこそだと思う。
穂乃佳: 島の暮らしの良さが残っていくといいなっていうのは、島を離れてからも思います。
▲百合ヶ浜でウェディングフォト
か な: 最後に、ヨロン島の子どもたちにメッセージをお願いします。
穂乃佳: とにかく今を楽しむ。
か な: 今を。
穂乃佳: その時しかないんで。今やりたいことを全力で楽しむのがやっぱり大事かなと。
か な: 学生時代は楽しかったですか?
穂乃佳: うーん、後悔はないです。学校選びにしてもなににしても、自分がしたいことをさせてくれたし、自分がしたいことを常に全力でやってたんで、後悔はない。みんなも後悔のないように。
か な: 今、選択した道を後悔なく。
穂乃佳: はい。自分が本当にやりたいことをしたら楽しいんじゃないかなと思います。
* * *
か な: ありがとうございました。結婚式がもうすぐとか?
穂乃佳: 春に結婚式の予定です。入籍は去年の8月に。
か な: おめでとうございます!
穂乃佳: 百合ヶ浜でウェディングフォトも撮りましたよ。
か な: いいですね~。いずれヨロン島に帰りたいことは旦那さんには?
穂乃佳: ずっと言ってます。けど、旦那は鹿児島がいいって(笑)
か な: 穂乃佳さんのような看護師さんが帰ってきてくれたらとっても嬉しいので、いつの日か旦那さんもヨロン島に住もうかなって思ってくれることを期待してます(笑)
今日はありがとうございました。結婚式準備、頑張ってください!
(おわり)
※このインタビューは2025年1月に行ったものです。
※写真は穂乃佳さんよりご提供頂きました。