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ヨロンの種特集インタビュー『旅の島んちゅ×島の旅んちゅ』 田畑輝樹さん(ビーチサッカー日本代表コーチ)
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インタビュー『旅の島んちゅ×島の旅んちゅ』
田畑輝樹さん(ビーチサッカー日本代表コーチ)

Reporter ヨロンFun編集部

「ヨロン島で育った子どもはどんな大人になるんだろう?」 そんな疑問から始まったこの企画。島の外で暮らしている島んちゅにスポットを当てて話を聞いてみました。話を聞くのはヨロン島に移住した旅んちゅの池田かなです。

大きな夢に向かって。

4人目:田畑輝樹さん(ビーチサッカー日本代表コーチ)

【田畑輝樹さんのプロフィール】Teruki Tabata
1979年生まれ。4歳年上の兄の影響でサッカーを始め、高校卒業後Jリーグに入団。2005年引退後はビーチサッカーに活動の拠点を移し、日本代表選手としてワールドカップに8回出場。2019年引退、指導者に転向し2021年ロシア大会では監督代行コーチとしてメダル獲得・準優勝に大きく貢献する。
JFAこころのプロジェクト「夢先生」としても全国各地で活動中。

※以下、敬称略


小さいときからサッカー選手になりたくて。

かな: 今回の“旅の島んちゅ”は喜島春樹さんからご紹介いただいた田畑輝樹さんです。春樹さんとは子ども時代に家がご近所だったと聞いています。いろいろ伺っていきますので、よろしくお願いします!

輝樹: よろしくお願いします。

かな: さっそくですが、ヨロン島に住んでいた時はどんな少年でしたか?

輝樹: そうですね…今と違ってゲームとかが充実している時代ではなかったので、海に行ったり、サッカーに打ち込んだりっていう感じで、活発な子どもでしたね。

かな: 海にはよく行かれていたんですか?

輝樹: 行ってましたね。泳いだり、釣りしたり。

かな: へぇ。

輝樹: 友達と行ったり、兄や、兄の同級生のお兄ちゃんたちに遊んでもらってました。いじられてたのかもしれないですけど(笑)

 

かな: サッカーはいつから?

輝樹: 幼稚園のときから兄の影響でボールは蹴ってたんですけど、本格的に始めたのは小学校3年からです。

かな: その頃からずっと?

輝樹: ずっとサッカーですね。

かな: 高校進学でヨロンを離れたそうですが、自分で決めて行かれたんですか?

輝樹: もともと小さいときからサッカー選手になりたくて。で、小学校の6年生の時に高校から話を頂いていて。

かな: えっ、小学生の時に!?

輝樹: 中学校で県大会に行った時も大会中に声をかけられたので。

かな: へー!

輝樹: 行くなら鹿実だなっていうのが。全国大会でもいい成績残してましたし、前園さんとかテレビで見てたので。鹿実に行くっていうのは決めてました。

※鹿実…鹿児島市にある全国屈指のサッカー名門校「鹿児島実業高等学校」のこと。元日本代表サッカー選手の前園真聖さんは鹿実出身の先輩。

 

サッカーで始まり、サッカーで終わる。  

かな: 高校生活はどんな感じだったんですか?

輝樹: もう本当にサッカー漬けですね。1日サッカーで始まりサッカーで終わるっていうくらいの。朝は5時に起きて6時から朝練やって、夕方からまた練習で帰るのは夜中の12時とか。

かな: わぁ……。

輝樹: それくらいサッカーやってました。

かな: ハードですね…。

輝樹: 今考えるとちょっとどうですかね。地獄みたいな。地獄ですね(笑)

かな: うん、なかなかです。

輝樹: いや、ほんと、日本で1、2を争う練習量だったんじゃないかなって卒業してから思います。でも、そういう厳しさも経験して良かったと思ってます。

 

かな: 高校を卒業してJリーグに?

輝樹: いくつかのチームからオファーをもらったんですけど、高校の恩師である松澤先生…もう亡くなられていないのですけど、先生が「下から上がってくるチームを選んだ方がいいんじゃないか」というので、アルビレックス新潟を選んで行きました。

かな: 新潟のあとに沖縄に移籍されて?

輝樹: はい。ラモス瑠偉さんに声かけて頂いて。僕が戦力外だったことを知って電話きて。

かな: ラモスさんから!

輝樹: 「遊んでる暇があるなら一緒に沖縄行くぞ」って、その一言で沖縄行きました(笑)

かな: なんか、かっこいい(笑)

輝樹: 怪我明けでコンディション上がってなくて難しいなって思ってたところの連絡だったので、やっぱラモスさんに言われれば「はい、行きます」と。

かな: 行くしかない、と。沖縄ではかりゆしFCのあと、FC琉球に移籍されてますね。

輝樹: ラモスさんが解任されたのを機に僕らチームの選手たちも辞めて、FC琉球を立ち上げました。

かな: 立ち上げ?

輝樹: はい。初期のメンバーなんで、僕。

かな: ヘー!

輝樹: それからレンタル移籍で静岡FCに。JFLの入れ替え戦があったのでその時だけ助っ人で行きました。

かな: そうなんですね。

輝樹: 助っ人で行った時にヴィッセル神戸の話も頂いたんですけどね。その時は引退を決めてたので行かずに。静岡FCで終わりました。

かな: ふーむ、サッカーは卒業ってことですね。

 

負けず嫌いの気持ちが出てきて。

▲ビーチサッカーW杯2015でベスト8に(輝樹さんは7番)

かな: ビーチサッカーをやることになったきっかけは?

輝樹: 引退して2年間は普通に働いてたんですけど、あの、ずっとビーチサッカーには誘われてて。

かな: へぇ?

輝樹: ずぅーと誘われてて、ずぅーと断ってて。もうサッカーはいいかなって感じだったので。

かな: うん。

輝樹: でもさすがにしつこく誘われてたのもあったし、あとやっぱラモスさんが。

かな: ん?

輝樹: ラモスさんが「今度はビーチやんないか」みたいな(笑)

かな: でた、ラモスさん!

輝樹: やっぱちょっと、僕の人生の中で影響のある方でしたので、一度は経験してみようかなって。簡単に出来るだろうっていう考えで遊びに行ったんですけど、「あ、全然違う競技なんだな」って。普通にキックとかできると思ったんですけど、まったくできなくて。

かな: 元プロサッカー選手でも?

輝樹: はい、こんなうまくできないこともあるんだって。そこから負けず嫌いの気持ちが出てきて、ちょっと極めたいなって。

かな: うん、うん。

輝樹: それがきっかけですね。28歳からスタートしました。

▲W杯グループステージ突破を懸けた対セネガル戦。

かな: サッカーとビーチサッカーとの違いはどんなところですか?

輝樹: 僕はサッカーで前十字靭帯切ってるんですけど、ビーチサッカーはサッカーと比べたら大きな怪我は少ないですね。ビーチでは疲れるのも早いし、でもサッカーと違って交代は自由なので、一回休んでまた出れるっていうのは魅力です。

かな: それはいいですね。

輝樹: あと選手生命が長くできるかな。世界的にみてもまだ45とか46才でトップを走ってる選手がたくさんいますしね。

かな: じゃあ輝樹さんも引退はまだ早かったんじゃないですか。

輝樹: それはこの間も言われましたね(笑) でも、いずれ指導者としての道を行きたいっていうのは明確にあったので、タイミング的には良かったのかな。

 

苦しみの先の楽しさ。

▲子どもたちと語り合う「夢先生」(輝樹さんは中央)

かな: 輝樹さんは子ども向けのイベントもたくさんされてますよね?

輝樹: そうですね。行ったところがないというくらい全国各地すべての県でやってますし、ドバイとか海外でもやってます。

かな: 海やビーチがない地域も?

輝樹: 日本サッカー協会が社会貢献活動でやっている「心のプロジェクト」という夢とか努力とか仲間の大切さを伝える「夢先生」という活動も行っているので、海がない地域でも子どもたちに関わってます。

 

かな: 今、子どもたちのビーチサッカー人口はどのくらいなんですか?

輝樹: 日本は少ないですね。海外は小さい頃からサッカー、ビーチサッカー、フットサルサッカーと選択肢があるので自分に向いてるものをチョイスしてやっていくんですけど、日本はサッカーはサッカーだけ。ビーチサッカーはイベントがあったらっていうくらい。選べる環境が出来たらいいなとは思います。

かな: なるほど。ヨロンの子どもたちにとってサッカーは今も人気ですが、島からJリーガーが出たのは輝樹さんの時代だけ。輝樹さんの子どもの頃と今の子どもたちと何が違うのかなって考えるんですけど。

輝樹: たぶん僕の場合はゴールがもともと高くて。

かな: そっか。小さい時からサッカー選手を目指してたから。

輝樹: あと今の子たちの遊びってゲームが多くないですか? それがいいか悪いか分からないけど、やっぱ外で遊ぶ時間の量の方があの頃と違いますよね。ボール1個で何人も遊べるというか。

かな: うん、うん。

輝樹: 遊びのなかで身についた強さとか、そういうのはあるのかな。

かな: 分かる気がします。

輝樹: 今の子を見てて思うのは、親の顔やコーチの顔を伺ってプレーしてる子が多い。なんか、答えを探してサッカーしてるみたいなのがあるんじゃないかな。

かな: あぁ、なるほど。

輝樹: 友達と成功した喜びとか勝った喜びとかよりも、走るよりも、ゲームが楽しい。苦しみの先の楽しさを知らないのがあるかもしれないですね。

かな: 苦しみの先の楽しさ。

輝樹: 僕らの時はよく友達や先輩とも話してたし、自分がやりたいようなプレーをしてました。指導者がいいのかどうか当時は分からなかったけど、やりたいようなことをやらせてくれていたかなと思います。

かな: 指導者はヨロン島の方?

輝樹: そうですね。沖島さんとか田畑さんとか。

かな: 怒られたりはしなかったんですか?

輝樹: 怒られても…うるせぇな知らねぇよじゃないけど(笑) ふてぶてしかったかも。そういうのが強さに繋がってたと思います。

かな: 海外の子どもはどうですか?

輝樹: (国によっては)貧しいのが基本ベースにあるので、僕らが着てる服とかボールですらプレゼントしてくれって何回も何回も必死でお願いしてくるし、靴を買うのも簡単には買ってもらえない。生きるためにその日その日が勝負で、だからサッカー選手になりたいっていう必死さが違う。家族のためにサッカー選手になって、自分が成功したいっていうそういう温度差は感じますね。

 

夢を持って、がんばってほしい。

▲W杯2021大会で銀メダルを獲得(右端が輝樹さん)

かな: 最後に、ヨロン島の子どもたちに向けてメッセージをお願いします。

輝樹: 子どもの時ってやっぱ視野が狭かったと思います。考え方もまだまだ小さかったなって。

かな: うん。

輝樹: あと、今はどうかわかんないんだけど、僕の頃は島出身って言うとちょっと馬鹿にされるので恥ずかしいっていうコンプレックス的なことも抱えてたんだけど、やっぱそういうことではなくて、なんかきっかけとか見つけて夢を持って、大きな夢に向かって羽ばたいてほしいなって。

かな: うん、うん。

輝樹: 羽ばたいて、いずれ帰ってきて良さとか伝えて、ヨロン島を盛り上げてほしいなと思います。ヨロン島は僕の原点だと思いますし、そこがなければ今の自分はないので僕もいずれはそうしたいなと思います。

かな: おぉ、ぜひ!

輝樹: 僕が成功してるとは思ってないんだけど、なんていうんだろうな。夢を持ってがんばってほしいなっていうのは伝えたいです。会って、そういうことを話したいなって思います。

かな: ほんと、子どもたちに話してあげて欲しいです。

輝樹: 世界は広いですし、同じ国に行っても新しい発見とか知らない世界がたくさんあります。夢とか希望とか世界にはいろんなことがたくさんあって、希望を持ちながらヨロン島で過ごしてほしいです。

 

* * * * * * * * * *

かな: ありがとうございました。ヨロン島にもビーチサッカーを教えに来て下さい。

輝樹: そうですね。沖縄やヨロン島でもたぶん出来ると思うので、機会があればヨロン島もまわりたいです。

かな: 輝樹さんが来てくれたら夢が広がります。今日はありがとうございました!

(おわり)

※このインタビューは2021年10月に行ったものです。
※写真はすべて田畑輝樹さんよりご提供頂きました。

 

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