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ヨロンの種特集インタビュー『旅の島んちゅ×島の旅んちゅ』紅若菜さん(紅型染め屋)
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インタビュー『旅の島んちゅ×島の旅んちゅ』紅若菜さん(紅型染め屋)

Reporter ヨロンFun編集部

「ヨロン島で育った子どもはどんな大人になるんだろう?」 そんな疑問から始まったこの企画。島の外で暮らしている島んちゅにスポットを当てて話を聞いてみました。話を聞くのはヨロン島に移住した旅んちゅの池田かなです。

私はヨロン推しです。

11人目:紅若菜さん(紅型染め屋)

【紅若菜さんのプロフィール】Beniwakana
1980年生まれ。弟と2人兄弟。与論高校卒業後、沖縄の紅型工房で伝統工芸士の先生から染めを学ぶ。
現在は大阪在住。沖縄の伝統的な古典柄の他に、ヨロン島の動植物や文化・伝統をモチーフにした作品を作られている。父はヨロン島の画家 清野土半さん。
SNS→https://www.instagram.com/beniwakana/

※お名前、敬称略

民俗村でかくれんぼ。

かな: 今回の“旅の島んちゅ”は紅若菜さん。ヨロン島モチーフの作品を作られたり、ヨロンとのコラボグッズも多く、ぜひお話を伺いたいと思っていました。今日はお時間をいただき、ありがとうございます。

若菜: いえいえ。よろしくお願いします。

かな: ではさっそくですが、ヨロン島に住んでいた時は、どんな子どもでしたか?

若菜: 小学生ぐらいまでは外遊びとお絵かきをよくしていました。与論民俗村に侵入して子どもたちでわぁーって走り回ったり、かくれんぼしたりもしてました。

かな: へぇ。民俗村は観光の場所って感じですけど。

若菜: 夏休みのラジオ体操を民俗村の前の駐車場でやっていたこともあって、体操が終わると子どもたちはわぁーっと。

かな: いい光景ですね。海では遊んでいましたか?

若菜: 父が追い込み漁をしていたので一緒に真似して海に潜ってました。

かな: え、追い込み漁?

若菜: 家から一番近いタティダラ海岸にいつも海を睨んでいるかっこいいおじいちゃんがいて、父はそのおじいちゃんに教えてもらって。

かな: なかなかアクティブですね!

▲子ども時代。木に登っているのが若菜さん

かな: お父さんのお話が出ましたが、若菜さんのご両親は島外出身者だそうですが。

若菜: そうです。父が福島県出身で、母が福岡県出身です。

かな: 何がきっかけでヨロン島に移住されたんですか?

若菜: 当時、沖縄がアメリカ合衆国の施政権下でヨロン島が日本の最南端だった時に、2人はそれぞれ旅行に来ていて出会って、結婚したそうです。

かな: へー! ヨロン島で出会って新婚生活。そのままずっとヨロンに?

若菜: そうです。父が看板を作る仕事をしていたので、看板を作っている横で私は絵を描いて遊んでましたね。

かな: 看板というと?

若菜: えっと、王者の椅子ありますよね。父は王者の椅子のデザインや茶花海岸のステージのシャコガイをセメントで作ったり、パナウル像を立体で作ったりとか。

かな: え、すごい。ヨロン島の観光を作った人だ。

若菜: 「こういうものできる?」って聞かれて、「こういう感じならできるよ」というやりとりを横で見てて、あぁ何でも作れるもんなんだなって思ってました。

かな: 島の風景を見る目が変わりました。

 

父からのふわっとしたメッセージ

かな: 与論高校卒業後はどちらへ?

若菜: 沖縄にある琉球大学の教育学部に入学しました。高校教員の免許が取れるっていうので。

かな: 最初は先生を目指されていたんですか?

若菜: 目指すというより、母が公文の先生なので、あわよくば同じ道にという母の願いに乗っかった感じで。

かな: とりあえず勉強しとこうかなぐらいな?

若菜: 教育学部なら行かせてもらえるみたいだから行っとこうかなみたいな。でも内心は美大系に行きたかったなというのがありました。

 

かな: サークルは入っていましたか?

若菜: 最初は合唱サークル、次に英語サークル、一番続いたのはバンドサークル。

かな: バンドもされてたんですね。

若菜: ヨロン島にいたときは、わりと勉強キャラというか。バンドのイメージとは一番遠い位置にいたんですよね。だから、すごい憧れがあって。

かな: 幼少期から同じ顔触れで過ごしていると自分のキャラが確立されてしまうことありますよね。

若菜: そうなんですよ。ちょっとイメージが違うって私も自分で思うし、周りも思うし。若菜がバンド? みたいな。大学に行ってからバンドをしたり、髪を金髪にしたり自由にやってました。

 

かな: 大学卒業後は?

若菜: 沖縄そばのお店でバイトしてました。

かな: 沖縄そば!

若菜: そう、ひたすらネギ切ったりしてたんですけど(笑)
半年ぐらい経った時に父から電話がかかってきて「沖縄には伝統工芸とか色々あるんじゃない?」みたいな。ふわっとしたメッセージをくれたんですよね。

かな: おぉ?

若菜: 父の言葉になるほどねって思いました。 大学で同じ女子寮にいた子が紅型染を体験してきたって、作品を見せてもらったことがあって、「こういうものがあるんだ。めっちゃきれい」って思ったのも記憶に残ってて。

かな: ついに紅型染が出てきましたね!

若菜: それで近所の紅型工房に電話をしたら見学に来ていいって言うから行って、そしたら「明日から来ていいよ」って。

かな: え、急展開?

若菜: そんな感じで。紅型工房で働き始めました。

 

紅型工房での修行時代

かな: 突然、紅型染めの人生が始まりましたね。

若菜: 給料がいくらかとも全く聞かずに入って。何の経験もないし、掃除からかなって思ってたんですけど、まぁ掃除から始まりましたね(笑)

かな: なんか、ちょっと先行き心配ですけど…。

若菜: これ給料貰えるのかな、それとも授業料を払うのかな? みたいな感じだったんですけど、どうやら給料が貰えるらしい。いくら貰えるんだろう、あ、5万。

かな: 5万!

若菜: そう(笑)

かな: そうか、そう…。そういう感じなんですね。

若菜: しかもバイト禁止。

かな: バイト禁止!? どうやって生活すればっ…

若菜: 生きていけない! って(笑)
先輩たちは「三年分貯金してから来たよ」「実家があるからなんとかやってるよ」みたいな。そうだったのかーと。その他のメンバーはこっそり夜バイトしてて。

かな: あぁ。

若菜: でも朝来たらクタクタだから寝ながら染めるみたいな感じで。で、先生に怒られるみたいな。
私はもともと体力がないので無理だなと思って。親に電話して「申し訳ないんですけど月2万だけお願いできませんか」ってお願いして、それで月7万で生活するっていう。

かな: それでも家賃払ったらもうトントンじゃないですか。

若菜: それがちょうど友達が紹介してくれた、すっごい狭い部屋が家賃2万だったんですよ。

かな: 安ーい。

若菜: はい。だからギリギリやっていけて。でもギリギリすぎて、いろいろ。1年で気力、 体力尽きてしまって。

かな: うん。

若菜: 3年はいなさいって先生に言われたし、私も3年はいたいって思っていたんですけど、これは無理だなと思って。

かな: お休みはあったんですか?

若菜: 紅型教室を沢山されている先生だったので、先輩たちと交代で土日も先生についてお教室行ったり。それで平日は朝7時半から夕方6時頃まで工房で働いて、そこからまた夜のお教室に行ってみたいな。

かな: うっわぁ…きついですね。なかなか。

若菜: なかなかでした。

かな: 工房を辞めてからもしばらくは沖縄に?

若菜: 沖縄には7年住んでいたので、大学で4年、ふらふら半年、工房1年、残りが独立時代って感じです。そのあと結婚して関東に移動しました。

 

地道に勉強して、彫って、染めて。

▲丁寧に色を重ねていく隈取り作業

かな: 紅型染めってどういうもので染めていくんですか?

若菜: 筆で色を刷り込んで染めていきます。一色ずつ染めて、染め上がったら乾かして、もう一回、同じ色を二度塗り。その上から今度は違う筆で「隈取り(くまどり)」と言って濃い色をチークみたいに重ねていきます。

かな: けっこう時間がかかりそう…。

若菜: 染める前の「型彫り」も時間かかりますね。型を自分で彫るんですが、点で彫っていくんですよ。缶切りの動きみたいな感じで。

かな: へぇ。

若菜: 点で彫ると角が丸くなって、デザインがまぁるくやわらかくなるというか。彫り上がって、またいくつかの行程があって型紙が完成。そこから染めが始まって、染め工程だけで一柄染め上げるのにだいたい1週間ぐらいですね。

かな: うぅん、職人の世界ですね。

若菜: 地道に勉強して彫って、染めて、納品して、の繰り返しです。

かな: 話は変わって、今日もお着物を着ていらっしゃいますが、普段からずっとお着物なんですか?

若菜: きっかけは東京で紅型染めの体験ワークショップをした時にお着物を着たお姉さん集団がいらして。「すてきですね。わたしもいつか着れるようになりたいんです」って話したら、「これ骨董市で500円だよ。着てない着物いっぱいあるからあげるわよ」って言われて。

かな: いい出会い!

若菜: 着付けも東京の中野にあるAmanっていうお店で、常連のお客さんが500円で教えてくれるって言うので、格安で習いました。

かな: 出た。ここでヨロン島が繋がってきましたね。

若菜: はい、繋がりました(笑)
着物との出会いは大きかったですね。着物の半襟に紅型染めをする教室を企画したらヒットして、いろんなところで開催させてもらってます。

 

ヨロン島のことをデザインする。


お父さんと若菜さん(ヨロン島のきび畑にて)

かな: 今もワークショップはよくやられるんですか?

若菜: 今は夫の転勤で大阪に住んでいるんですけど、引っ越した頃はワークショップをよくしていました。息子が生まれて変わりましたけど。

かな: そうですよね、必然的に。

若菜: 妊娠中から動き方を変えないとなーというモヤモヤはあって。出産後にもう1回紅型教室を再開してみても、ダメだ体力全然ない…ってなって。

かな: モヤモヤしますよね。

若菜: これからどうしていこうって考えてた時に、ふと思い出したのが、父…父は2020年に亡くなっちゃったんですけど、2017年に和歌山で「親子展」をしたんです。
その親子展に新聞記者さんが取材に来ていて、「紅型の中でヨロン島の柄はどれですか?」って聞かれて「あ、ヨロンの柄が、めっちゃ少ない」ってなって。私、全然ヨロンの柄をデザインしてこなかったなーって気付いたんですね。

かな: そっかぁ。

若菜: あの、私、今回のインタビュー「旅に住んでる島んちゅ」で声かけてもらってるんですけど、両親がヨロン島生まれじゃないっていうのが小さい頃からずっとネックだったんです。

かな: え?

若菜: ヨロン島で確かに育ったのに「わたしは与論人です」って言っていいのかなっていう揺らぎみたいなのがずっとあって。しかも、今はヨロン島に住んでもいなくて、紅型作家としての方向性も揺らいでいて。
そんな時に、たまたまジャッキーさんを知って。

かな: あのジャッキーさん? ヨロン島観光大使の。

若菜: 最初は誰だろうって思いながらラジオ聞いてて、あれ? 同級生な気がするって。しかも、実家がお向かいさんなんですよ。

かな: そうなんですか!

若菜: ヨロンの内と外を行き来しながら、まっすぐに島を応援する発信をしている同級生がいる。
「そっかぁ、私も私の角度から、ヨロンを好きって言っていいのかも!」って。好きってちゃんと伝えたいんだっていうのも自覚したというか。 私はヨロン推しですってちゃんと言おう! みたいな(笑)

かな: いいですね~。

若菜: そこからヨロン島のことをちゃんと知りたいって学び始めたら今度は「ヨロン、すごいな」と。ヨロン、すごくないですか、なんか。

かな: は、はい。えぇ?

若菜:  海がめちゃめちゃキレイなのはもちろんですけど、貴重な海岸線の植生とか、受け継がれている伝統文化とか。学ぼうと思えば島でセミナーもたくさん開催されてて、自然環境にも力を入れているし。

かな: うん、うん。確かに。

若菜: 恩返しじゃないけど、私に出来ることないかなって考えて、それが“ヨロン島のことをデザインする”ことかなと思ってます。
ヨロン島のことをデザインして、島外の人にもヨロン島の人にも「こういうところがあるんだよ」と見てもらうことかなって感じがして。 今はヨロン島のモチーフをいっぱいデザインして、それを染めていろんなアイテムを作っていきたいなって、そういう気持ちです。

かな: 実際にデザインしたものを紹介してもらってもいいですか?

若菜: ヨロン特有のモチーフで、手ぬぐいとアロハシャツを作ろうというプロジェクトに関わらせてもらって、ヨロンにしかないものって何だろうって考えたときに、子どもの頃からなじみのあった「与論十五夜踊り」をテーマにさせて頂いて。

▲与論十五夜踊りの手ぬぐいはお土産にも人気

若菜: ヨロン島の同級生から十五夜踊りの資料を分けてもらって、それを読み込んでデザインさせて頂いて。動植物だけじゃない、ヨロンの伝統文化もなんて深い、おもしろいなぁって。

かな: ヨロンデザインはだいたいヨロン島で販売されているんですか?

若菜: そうとも限らなくて。例えばこれはカンザシヤドカリの…

かな: ははははは! また、ニッチな世界(笑)

若菜: ニッチですよね。こういう海のデザインをがま口財布とかにすると東京や大阪でも人気なんですよね。「これ、沖縄?」って声をかけてくれるんですけど、沖縄の近くのヨロン島で、実は鹿児島でってそこで話も膨らむし、おもしろいねって買ってくださる方もいるし。

かな: ヨロン島との繋がりを意識しながら活動されてる感じですね。

 

自然にやっていることを集めて。

▲十五夜踊りのアロハシャツを着た若菜さん

かな: 最後に子どもたちにメッセージを頂けますか。

若菜: 私は学校という空間が得意じゃなかったり、わりと一人で作業するのが好きだったり、絵を描くのが好きだったり、でも追い込み漁も好きだったからアクティブな面もあったのかなぁとか。自分の中にいろんな要素があります。そこから自分が将来何になるのか、私は夢とか仕事とか決められなかったタイプだったんですけど。

かな: はい。

若菜: 無理をしないで自分が自然にやっていること、人よりちょっと上手にできることを集めていく。
例えば絵を描く、研究をする、大勢の空間とひとりの空間どっちが落ち着くとか、自分が作ったもので誰かが喜んでくれるとか、そういうものが複合的になったのが今の“紅型作家 紅若菜”だなって感じています。
子どもの頃は、体力もないし、コミュニケーション能力も高い方じゃないしとか、ないものばっかり考えちゃったんですけど、自分が頑張らなくてできることを総合的に考えていくと、できることって案外あるんだなって気付けると思うので、頑張らないで楽しめることを見つけてほしいです。

 

* * *

かな: すごくいいメッセージをありがとうございました。今度ぜひサンゴの世界もデザインして欲しいです。

若菜: はい、サンゴも興味あるんです。ぜひ教えてください。

かな: ダイビング、一緒に行きましょう。さらにニッチな世界へご招待します!
今日は本当にありがとうございました。

(おわり)

※このインタビューは2025年4月に行ったものです。
※写真は紅若菜さんよりご提供頂きました。
◇紅型染めの工程や図案を紅若菜さんのインスタで見ることができます
https://www.instagram.com/beniwakana_bingata_design/

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